「ピアノが弾ける」基準とは?演奏の上手い下手の違いは? [大人のピアノ(初心者)]
過去の記事で「ピアノが弾ける」ということへのハードルが高いのではないかと書きました。重複する内容ですが、私は「ピアノを習っています」とは口外していますが、「ピアノが弾けます」とは恐れ多くて口にできません。
(^^;
では「ピアノが弾ける」という“基準”はどこにあるのか。あくまで趣味の範囲でピアノを習っている私なりの考えを書いてみたいと思います。
まず、この記事冒頭に書いたことを私自身が体感した実例があります。それは、ピアノを習い始めて2年くらい経ったころ、とある簡単な曲をミスタッチなく最後まで弾けるようになったので、「ちょっと弾けるようになったよ」と知人に聞かせたところ、返ってきた感想は・・・、
でした。
正直かなり凹みましたし、これが原因で人前で弾くのが怖くなりました。ちなみにこの知人は、幼いころから中学生くらいまでピアノを習っており、まあ、演奏はもとより、弾き方もまともでない私のピアノは、不快以外のなにものでもなかったのかもしれませんが・・・。
ここで二つのキーワードが出てきました。
一つは
これを「ピアノが弾ける」基準にすることがあると思います。私自身もこれを基準にしているケースがあり、YouTubeにアップする動画は基本的にミスタッチなく演奏できたものです。
ちなみに、上記の知人の他にも何人かの知人・友人に演奏を聴いてもらったことがあるのですが、音楽に精通していない人のほとんどは、間違えないで最後まで演奏できれば「ピアノ弾けるじゃん」と言ってくれました。
もう一つは
です。
ぶっちゃけ、これを知人に言われたときは「素人にそれを求めるなよ」って思いました(笑
ただ、クラシックピアノを習い始めてから、この考え方が少しわかるようになってきました。
結局は、「何のために演奏しているか」というところに行き着くのですが、私自身、あまり社交的ではないこともあり、自分が好きな曲を自分が思うように弾けるようになったらそれで満足だとずっと思っていました。
なので、発表会なども敬遠していましたし、とにかく自分のためにピアノを習っているつもりでした。ですが、クラシックピアノのレッスンで、
と指導されることが多く、「確かにそうだなぁ」と感じることが増えました。
バイエルに関する記事でも書きましたが、習っている曲が簡単だからと初期のころは思っていたものの、やはり先生が弾くと全然違うんですよね。
「音楽的に」というとどうしても堅苦しい感じがして敬遠しがちですが、「その曲をどう表現したいか」って置き換える、もっとくだけた表現をすれば、「どうしたら気持ちよく演奏できるか」と置き換えてみるとちょっと楽に考えられると思います。
もちろん作曲でいうところの音楽理論的なことがピアノ曲の解釈でもあり、「自分の好き勝手に弾きたい!」という気持ちが強いと、こういった指導を受けるのが嫌になってきてしまうこともあると思います。
私自身、クラシックピアノの先生に師事して1年くらいは、途中で演奏を止められたりして戸惑うことも多かったです。
でも、だんだん慣れてくると言いますか、頭というより体が覚えてくるんですよね。私の場合はあまりクラシックに抵抗がなかったからなのか、マルをもらえた時の演奏が自分にとっても気持ちよく弾けていることに気付き始め、弾けたときの喜びみたいなものを感じられるようになってきました。
そして、そのとき先生が
ということをよく仰るので、あぁ、やっぱり聴き手がいてこその演奏なのかなって思い始めるようになりました。
ですので、今思い返せば、多少の意地の悪さは感じるものの、私に辛辣な意見を言った知人の気持ちもわからなくもないかなぁと。。。それでも、もうちょっと言い方を考えてほしかったですけど(苦笑
誤解を恐れずに申しますと、私が師事しているクラシックピアノの先生は、ミスタッチに関してそれほど過剰な反応は示しません。むしろ、ミスタッチを恐れておっかなびっくり弾いていることの方が注意されてしまいます。
「つまらない演奏ですね」という定番フレーズとともに・・・汗。
そして、上記二つのピアノが弾ける基準の中間ともとらえられることを先生から言われることがあります。それは、
です。
演奏する技術力、楽曲を解釈する力に加えて、もうひとつ私が今後の課題とされていることは弾ききる力です。
バイエルなどは1分程度の曲ばかりですが、それでも聴き手が飽きないように楽曲をまとめて最後まで弾くことは今の私には想像以上に難しい課題でした。
これが、3分、5分、10分・・・、と演奏時間の長い楽曲になったとき、間延びすることなく最後まで弾ききるのは容易なことではありません。
楽曲全体にどのようなストーリーを持たせられるかということにもなりますが、逆にストーリーを聴き手にイメージさせることが出来れば、多少のミスタッチがあっても「良い演奏だった」と思っていただけるのかもしれません。
これが演奏の上手い下手の違いなのかも?と私は考えています。
ミスタッチを怖がって演奏していると、どうしても視線が「鍵盤(自分の指先)と楽譜の往復」になってしまいます。結果、こぢんまりとした演奏になり、何を表現したいのかが聴き手に伝わらないと、先生から指摘されます。
そんなときは、右上の方を指差され、
と指導を受けます。
私のような初心者にとって、
・演奏が破綻してもいい
これほど心強い言葉はありません(苦笑
(;¬∀¬)
もちろんミスタッチが増えることもありますが、余計な力が抜けることで音もクリアになり(脱力できていない重い音ではなくなり)、結果、良い演奏になることが多いです。
あと、これは余談ですが、ジャズピアノを師事している先生にもミスタッチについてはむしろ「気にするな」という感じで指導を受けています。逆にミスタッチで自分自身がビックリして演奏を止めてしまうことを嫌います。
「何事もないように続けて弾いていけばいいんだよ」って言われますが、意外と気にしてしまうんですよね、私の場合は・・・苦笑。
ちなみに、今度は誤解を避けるために書きますが、フォームや指使いに関しては事細かに指導していただいています。ちょっと頑張ってインテンポでぎりぎり弾けるような場合、フォームが崩れていると必ずゆっくりなテンポでの練習に戻されます。
(問題なくインテンポで弾ける場合にはそのまま表現の指導に移ります。)
さらに、もう一つ。これが一般的なピアノが弾ける基準と捉えられることが多いのかもしれませんが、技術力のひとつとして、複雑な曲(早いパッセージや跳躍したフレーズがあるような曲)で指が回ること。
これは聴いていてわかりやすいですよね。クラシックピアノの先生も、指が回るかどうかは一つの基準になり得ると仰っていました。もちろん、その中でも音楽的に弾けているかどうかの違いはあるのですが、素人の私などにはわからないと思います。
ちなみに、大人になってからピアノを始めた人でも、意外と指が速く回るようにはなるそうです。
ですので過去の記事にも書きましたが、「この曲が弾きたい!」という目標があるのであれば、時間をかけてその一曲を仕上げていく方が、進度も早く、モチベーションも保てるのではないかと思います。
1曲でも弾ける曲ができて人前で弾けるようになると、一つの特技として自慢(?)できるようになる場合もありますし・・・笑。
同じく過去の記事で、私はノクターン第2番に関して、指が回るようになったと書きましたが、ピアノを始めて3年くらいでこの程度であれば到達します。
でも、この演奏だと心に響かないですよね?
この動画は2年前くらいに撮ったものですが(ガラケーなので画質が悪くてスミマセン)、ド下手だと思います。伝わってくるものがないんですよね、自分で言うのもなんですが・・・苦笑。
(ちなみに、動画を撮ったときは「ピアノが弾けるようになった!」って喜んでいましたけど・・・。)
それに、見ての通り、この弾き方で生ピアノを演奏した場合、おそらくまともな音は出ないと思います。これがきっかけで私はクラシックピアノを一から習おうと決意しました。
また、ブルグミュラー25の練習曲、ツェルニー30番練習曲を修了していればピアノが弾けるといった、王道ピアノ教本の進度でレベルを測ることもあるようですが、ある程度は基準になると思う反面、その教本で何を学んだかという、師事している先生に依存する部分もあるため、私自身はあまり参考にならないのではないかと思っているところもあります。
まとまりなく長々と書いてきてしまいましたが、最後に簡単なまとめをしてこの記事を終わりにしたいと思います。趣味としてやっている範疇でのピアノが弾ける基準と、演奏の上手い下手の違い。それは、聴き手の心に何かしら響く演奏ができるかどうかだと今の私は考えています。
もちろん演奏できる楽曲の難易度に依存する部分があるのは承知のうえですが、多少技術力が足りなくても、おどおどせず最後まで堂々と弾ききっている演奏は、聴き手の心を動かすのではないでしょうか。
千原ジュニアさんが
どんな職業でも空気を自分の物にしたらテッペンですよ
と、ある番組で仰っていましたが、ピアノの演奏もそうなのではないかなぁと。
そう考えると、手段は何でもいいのかもしれませんね。超絶技巧でも、音楽的な表現力でも、時には聴き手にあわせてた選曲でも。聴き手に伝わる演奏ができた時、「ピアノが上手に弾ける」と言える気がします。
私も、その時が来ることを目指して、練習に励みたいと思います。
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